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box bio 本物のフリーハンド


私たちは大きなビルダーではないので、決まった商品やカタログ通りの家づくりはしていません。 というか、できません。

「ローコストの商品化の家が嫌い。お金がないなら、ないなりに清々しい住まいをつくりたい」

「ローコスト」を標榜するハウスメーカーの「造り」は、装飾を凝らした階段の手摺であったり、 擬似大理石の玄関ホールであったり、紛いものが少なくない。 「貧」を隠そうとしして、かえって「貧」に陥っています。 大手ハウスメーカーの家も、最近では「エコ」を強調していますが、その時々のトレンドを追い続けるのが慣わしで、 「商品化された住宅」は、日本の自動車がそうであるように、結局は、陳腐化を余儀なくされます。 だって彼らはバブル時、全館冷暖房を謳歌していたのですから。 それがつまり「ローコストの商品化された家」なのです。 では「清々しい住まい」について考えてみましょう。 そこで「生活する」ということをまず考え、時間がたつにつれその「箱」に何がおきるかを事前に考えます。

もとになるのは、そう「設計」。

「建物を単に空間的な構造物としてとらえるのではなく、時間という要素を考えに入れ、 この世界に生まれ、様々な成長を遂げ、やがては死に至る存在としてとらえなおす」

それが「box bio」というデザイン。

そして「成長し、成熟するためには、建物は長寿である必要があり、そのためには強靱な構造が不可欠です。 屋根はもちろん傾斜した方がよく、できるだけ軒が深い方が壁を風雨や太陽から保護できます。 壁は構造とは独立している方が保守管理が容易です」

これが「box bio」という構造。

人が思いを詰め、人の手に掛けたもの。十分すぎるほどに思いを巡らせ、こだわりを持ち続け、 職人衆のチカラを結集し、それをカタチにする。

それこそが「box bio」の現場。

眩いばかりのシャンデリアが、裸電球一つにかなわないことがある。 欲しいのは器具ではなくて、明かり。そのもの。 本質を見極めようとする目が、何より重要だと思います。 それが「清々しい住まいをつくる」ということだと考えています。

グローバルでなくて、ローカルでいい。 ハウスメーカーやビルダーには出来ない、本物のフリーハンドの家づくり。 それが「box bio」